本展は、情報とイメージが暴力的に飽和するこの時代に、私たちは目の前にあるものを本当に「見ている」と言えるのか、という問いから始まった。悲惨さとユーモアが同じ画面上で並列に現れ、出来事が瞬時に共有され、消費され、忘却されていくなかで、感覚や倫理はいったいどこから立ち上がり得るのだろうか。その切実さは、今回集った4名の作家それぞれの実践のなかで、異なるかたちをとって現れている。

R E M Aは、Ana Mendietaの作品をパスティーシュすることで、倫理が環境や状況によっていかに容易く揺らぎ、変質してしまうものかを露わにする。川上愛理は、自身の手術経験を起点に、「hospital」と「hospitality」のあいだを往復しながら、身体に刻まれた記憶とまなざしを絵画へと翻訳していく。また、平城侑樹による椅子と、SYO TANiiによる植物の生成的な介入は、展示空間に呼吸と循環をもたらし、作品と観者との関係性に新たな循環を生じさせる。異なる素材と身体を媒介とした4名の表現は、空間のなかで交差し、やがて一つの対話として立ち現れる。本展は、見ることと感じることのあいだに横たわる倫理と感覚を、私たち自身の身体へと引き戻そうとする試みである。

眠る顔と、引き裂かれる世界。本展のタイトル「Sleeping Face, Splitting World, Stick Needles Into the Eyes 眠る顔に針を刺すとき」は、見ること、あるいは眼を覚ますこと、そして破壊されてしまった倫理を回復しようとする意志を内包した、一つの詩として立ち現れている。展覧会のテーマについて言葉を交わすなかで、情報とイメージが暴力的に飽和したこの現代において、「目の前に見えるものを本当に“見ている”と言えるのか」という問いが、私たちのなかに生まれた。

明け方、眠れずにリール動画を流し見ていると、ある映像が不意に目を止めた。朝日が差し込む薄明るい灰色の瓦礫の中に、10歳くらいに見える男の子が立ち、鮮明な赤と白の大きな肉の塊を抱きかかえている。翻訳されたキャプションには、少年は母を抱いている、と書かれていた。咄嗟にそばで眠る母の顔を見たとき、なぜか涙がとめどなく流れ落ち、その瞬間、私は初めてその事実を「見た」と言えるほど、はっきりと感覚した。

眠っている顔と、引き裂かれていく世界。今ここにある日常と、耐え難い現実。その切迫した事実を前にして、私たちはどこまで目を開き続けることができるのだろうか。村上龍の小説『ピアッシング』冒頭に描かれる、毎晩、眠る赤ん坊を前にアイスピックを突き刺してしまうかもしれないという強迫観念に取り憑かれ、冷や汗を掻きながら鋭い針を手に握りしめて立つ男のイメージは、「突き刺さない」という選択のなかに宿る倫理を象徴している。目に針を刺すときは、今だ。

Open:

11:00 - 18:00 最終入場17:30

Close:

Sun.Mon.Holiday

Admission:

Free

Artists:

R E M A, 川上愛理, 平城侑樹, SYO TANii

※10名様以上でのご来場を予定されている場合は、必ず事前にお電話またはメールにてご予約をお願いいたします。ご予約のない場合は、当日のご入場をお断りいたしますので、あらかじめご了承ください。

なお、団体でご来場のお客様には、展覧会運営・アーティスト支援・施設維持のため、お一人様あたり1,000円のご寄付をお願いしております(中学生以上が対象、小学生以下は任意)。ご寄付いただいた方には、オリジナルトートバッグを進呈いたします。

R E M A

社会におけるジェンダーや役割意識をめぐる問いを、自己のイメージを媒介とした作品群を通して探求している。初期には、化粧や衣装といった身体の装飾的要素を取り込み、演出された「自己像」を通して、女性性のあり方についての問いを浮かび上がらせてきた。近年では、そうしたイメージはより抽象的なかたちへと変容し、線によるドローイングや焼き付けといった物理的な行為によって、素材の中に痕跡として刻み込まれていく。そうして現れるモチーフは、偶像でありながらもどこか原始的で、見る者を時間や言語を越えた感覚領域へと誘う。高さ7mの大型彫刻作品「The Woman with Terrestrial Malady “LEM”(地上病の女《レム》)」は、2025年の大阪・関西万博で展示された後、タイ・プーケットにて恒久的に展示される。また、2025年に「ANTI MORAL SCHOOL株式会社」を設立。アート作品やプロダクト、印刷物の販売に加え、イベントやポップアップなどを通して、多様な表現との出会いを生む場を運営している。また、若手アーティストに向けたアトリエの提供や展示機会を創出し、アイデアやプロジェクトを支えるプラットフォームとしても機能し、創作と交流の新たなかたちを模索している。

川上愛理

私にとって絵画とは、こちら側の世界とキャンバスの向こう側にある世界を繋ぎ、或いは隔てるための「窓」である。絵を描くことは、言葉の檻に閉じ込められた表象を再現する行為ではなく、まだ名付けられていない感覚や、絵画世界の奥からこちら側を覗き込む来訪者、あるいはその世界そのものに出逢うための行為だと考えている。それはまさに「訳のわからないもの」を引き受ける身体労働であり、生きることそのものが未知の泉であるということを、受けとめる試みでもある。立ち現れる像や色、気配に耳を澄ませながら、絵の声の従者として描き出し、窓の向こうに存在する名もなきものたちに詩を与える。そしてその管理者(Caretaker)として絵画を創作することは、この世界で私に与えられた唯一の神聖な労働である。

平城侑樹

椅子という身体に最も近い家具を媒介に、人がモノに抱く「愛着」という感情の構造を問い直している。手仕事の痕跡を残す造形は、実用性と象徴性のあいだを往還し、使うことと感じることの境界を揺さぶる。工芸・アート・デザインを横断する実践を通じ、生活の中で見過ごされがちな情緒や記憶をすくい上げ、現代における「モノとの関係性」を再解釈することを目指している。制作の核にあるのは、機能と感性が拮抗しながらも調和する「居場所」をつくること。椅子は、人を支える最小の建築であり、感情を宿す彫刻でもある。そのあいだを行き来し、使うことの中に美を見いだし、感じることの中に生活の実在を取り戻す。木という素材の時間の層や手の痕跡を受け入れ、モノが人とともに歳月を重ねる豊かさをかたちにしていく試みを行なっている。

SYO TANii

植物を中心とした作品制作と空間装飾・演出を行うアーティスト。石膏・アクリル・シリコン材などの異素材を用い、圧力や固定、積層といった行為を通して植物の特徴を際立たせる手法を特徴とする。植物の形状や質感、脆さ、輪郭の揺らぎなど、日常では見過ごされがちな性質を異素材との組み合わせによって可視化し、鑑賞者が植物そのものを新たな視点で捉えるためのきっかけを生み出している。作品制作と並行して、ホテルや商業施設、イベント空間における植物を使った装飾・演出も手がける。植物と建築、照明、動線との関係性を読み取りながら空間全体を設計し、その場に滞在する人々の体験や視線の流れを変化させる環境づくりを行っている。単なる装飾ではなく、植物の存在を媒介として空間の性質や印象が変わっていくプロセスを重視している点が特徴。作品制作と空間演出の両面から、植物に対する気づきや関心を促し、人と植物の関係性を再考する機会を提示する活動を続けている。