川端実(1911年東京生まれ)は、祖父・川端玉章、父・川端茂章と代々日本画家を祖とする家系に生まれ、東京美術学校(現・東京藝術大学)で藤島武二に師事し油彩を学んだ。1939年にパリへ渡るが、第二次世界大戦の勃発によりニューヨークへ移動し、1941年にイタリア経由で帰国。その後も抽象表現の探求を続け、1953年には吉原治良、山口長男らと共に日本アブストラクトアートクラブを結成し、1956年にはミシェル・タピエが企画した国際展「世界・今日の美術展」に参加するなど、国内外で頭角を現す。
1958年に再び渡米し、ニューヨークを拠点に活動。抽象表現主義を支えた画商ベティ・パーソンズに才能を見出され、1960年に同ギャラリーで初個展を開催。以後1981年までに11回にわたる個展を開催し、ジャクソン・ポロックやマーク・ロスコらと並ぶ存在として「ニューヨーク・スクール」の中核を担った。また、草間彌生、岡田謙三ら在米日本人作家とも連携し、1962年にはヴェネチア・ビエンナーレに日本代表として6点を出品。1974年にはニューヨークのエヴァーソン美術館で、翌1975年には神奈川県立近代美術館で大規模な個展を開催するなど、日米双方で評価を高めた。晩年まで作品発表を続け、1992年には京都国立近代美術館および大原美術館で回顧展、2011年には没後10年・生誕100年を記念し、横須賀美術館で《川端実展 東京—ニューヨーク》が開催された。
1950年代にはキュビスムに影響を受けた幾何学的表現に取り組んでいたが、1958年以降のニューヨーク時代には書道的な筆致に着目し、1960年代には即興性を活かしたダイナミックな抽象表現を確立。《Form in〜》《Form Unity》などのシリーズでは、色面と形態が画面全体に広がるオールオーヴァーな構成を展開し、1980年代以降は「長方形」「門」「ローブ」などの明快な形態と鮮烈な色彩による、構造的で力強い様式へと発展させた。
川端は、自らの内面にある心理的風景を、絵画という視覚言語に結晶化させようとした。濃密な色面の広がりの中に象徴的な形が浮かび上がる構成や、対比色のストロークによる抒情的な強度は、抽象表現主義やカラーフィールド・ペインティングと共鳴しつつも、東洋的精神性と造形感覚が融合した独自の世界を形成。戦後日本の抽象美術を国際的に展開した先駆者として、現在もその業績は高く評価されている。
アーティゾン美術館、板橋区立美術館、和光ホール美術館、大原美術館、神奈川県立近代美術館、京都国立近代美術館、岐阜県美術館、呉市立美術館、国立国際美術館、サクラアートミュージアム、高松市美術館、多摩美術大学美術館、千葉市美術館、東京藝術大学大学美術館、東京国立近代美術館、東京都現代美術館、横須賀美術館、横浜美術館、アルブライト・ノックス美術館、サンパウロ近代美術館、ウェズリアン大学エルダーギャラリー、エヴァソン美術館、ソロモン・R・グッゲンハイム美術館、ニューアーク美術館