このたび、ICHION CONTEMPORARYでは、日本人として抽象表現主義最盛期のニューヨークで活動を展開し、東西の美術の交差点に立ちながら独自の造形世界を築いた川端実(1911–2001)の展覧会を開催いたします。川端は東京に生まれ、東京美術学校で藤島武二に師事して油彩を学びました。1939年に渡仏しましたが、戦乱の中でニューヨークへ移動し、1941年に帰国を余儀なくされます。激動の時代を背景に始まったその歩みは、のちに国際的な舞台で展開される作品に深い緊張感と独自性を刻み込みました。
戦後の日本美術は復興と同時に新しい表現の模索が進みました。川端は具象から離れ、色彩と形態の関係を根本から問い直しました。1953年には吉原治良らと日本アブストラクト・アート・クラブを設立し、1956年にはミシェル・タピエ企画の「世界・今日の美術展」に出品するなど、前衛美術の重要な担い手として注目を集めました。こうした活動は、戦後日本における抽象絵画の発展を示すものであり、国際的潮流との接点を生み出すものでした。
1958年に再渡米した川端は、抽象表現主義が隆盛するニューヨークに拠点を置きました。ジャクソン・ポロックらを世に送り出したベティ・パーソンズ画廊と契約し、グッゲンハイム国際展での受賞を通じて国際的評価を確立します。アメリカ的なスケールや物質性を吸収しながら、日本的な筆致や余白の感覚を融合させた作品は、東西の感性が交錯する独自の表現領域を切り拓きました。
本展では、1950年代後半の紙作品に見られるストロークの実験、大画面における構成的探究、1970年代以降に追求された色彩と形態の統合、そして1980年代以降の洗練された造形言語へと至る流れを一望します。これらの作品群は、常に「色とかたちの間」に潜む可能性を探り続けた画家の姿を示しています。川端の表現は、理知的な分析を超えて感覚と直観に訴えかけ、今なお新たな視覚体験をもたらします。戦乱を生き抜き、国際的舞台で独自の言語を形成した戦後日本を代表する画家、川端実。本展を通じて、その画業の意義を改めて見出していただければ幸いです。
11:00 - 18:00 最終入場17:30
※最終日のみ最終入場16:30、17:00終了
Sun.Mon.Holiday
Free
川端実
※10名様以上でのご来場を予定されている場合は、必ず事前にお電話またはメールにてご予約をお願いいたします。ご予約のない場合は、当日のご入場をお断りいたしますので、あらかじめご了承ください。
なお、団体でご来場のお客様には、展覧会運営・アーティスト支援・施設維持のため、お一人様あたり1,000円のご寄付をお願いしております(中学生以上が対象、小学生以下は任意)。ご寄付いただいた方には、オリジナルトートバッグを進呈いたします。
川端実(1911年東京生まれ)は、祖父・川端玉章、父・川端茂章と代々日本画家を祖とする家系に生まれ、東京美術学校(現・東京藝術大学)で藤島武二に師事し油彩を学んだ。1939年にパリへ渡るが、第二次世界大戦の勃発によりニューヨークへ移動し、1941年にイタリア経由で帰国。その後も抽象表現の探求を続け、1953年には吉原治良、山口長男らと共に日本アブストラクトアートクラブを結成し、1956年にはミシェル・タピエが企画した国際展「世界・今日の美術展」に参加するなど、国内外で頭角を現す。
1958年に再び渡米し、ニューヨークを拠点に活動。抽象表現主義を支えた画商ベティ・パーソンズに才能を見出され、1960年に同ギャラリーで初個展を開催。以後1981年までに11回にわたる個展を開催し、ジャクソン・ポロックやマーク・ロスコらと並ぶ存在として「ニューヨーク・スクール」の中核を担った。また、草間彌生、岡田謙三ら在米日本人作家とも連携し、1962年にはヴェネチア・ビエンナーレに日本代表として6点を出品。1974年にはニューヨークのエヴァーソン美術館で、翌1975年には神奈川県立近代美術館で大規模な個展を開催するなど、日米双方で評価を高めた。晩年まで作品発表を続け、1992年には京都国立近代美術館および大原美術館で回顧展、2011年には没後10年・生誕100年を記念し、横須賀美術館で《川端実展 東京—ニューヨーク》が開催された。
1950年代にはキュビスムに影響を受けた幾何学的表現に取り組んでいたが、1958年以降のニューヨーク時代には書道的な筆致に着目し、1960年代には即興性を活かしたダイナミックな抽象表現を確立。《Form in〜》《Form Unity》などのシリーズでは、色面と形態が画面全体に広がるオールオーヴァーな構成を展開し、1980年代以降は「長方形」「門」「ローブ」などの明快な形態と鮮烈な色彩による、構造的で力強い様式へと発展させた。
川端は、自らの内面にある心理的風景を、絵画という視覚言語に結晶化させようとした。濃密な色面の広がりの中に象徴的な形が浮かび上がる構成や、対比色のストロークによる抒情的な強度は、抽象表現主義やカラーフィールド・ペインティングと共鳴しつつも、東洋的精神性と造形感覚が融合した独自の世界を形成。戦後日本の抽象美術を国際的に展開した先駆者として、現在もその業績は高く評価されている。
アーティゾン美術館、板橋区立美術館、和光ホール美術館、大原美術館、神奈川県立近代美術館、京都国立近代美術館、岐阜県美術館、呉市立美術館、国立国際美術館、サクラアートミュージアム、高松市美術館、多摩美術大学美術館、千葉市美術館、東京藝術大学大学美術館、東京国立近代美術館、東京都現代美術館、横須賀美術館、横浜美術館、アルブライト・ノックス美術館、サンパウロ近代美術館、ウェズリアン大学エルダーギャラリー、エヴァソン美術館、ソロモン・R・グッゲンハイム美術館、ニューアーク美術館